「昔の人は毎日着物を着ていた」って本当?

〜現代の着付けから見える、あの頃の着物事情〜


お仕度中に、よくいただくひとこと

お仕度のお手伝い最中に、よくお客様からこんなお言葉をいただきます。

「昔の人は毎日着物を着ていたんですよね。すごいですよね。」

そのたびに、私はふと思い出すことがあります。
それは、子どものころに見た一枚の古い婚礼写真のことです。


古い写真に写っていた、意外な着物姿

明治生まれの祖父母が大切にしていた親類の婚礼写真。
そこに写る方々の着物姿は、どこかラフで、今のようにきっちりとした印象とは少し違っていました。

襟元はそこそこはだけていたり、帯の位置がゆるかったり……。
子どもながらに、「えっ、こんな感じでよかったの?」と思ったのを覚えています。


祖母の着物姿と、私の着物観

同居していた祖母も、明治時代の生まれでした。
彼女の髪はショートカットで亡くなる間際まで自身で髪を染めるハイカラなおばあちゃん、着物の着方も自由なものでした。

現代の「正統派な着付け」から見れば、きっと驚くほどの“ショートカット着付け”だったと思います。
でも、そんな姿が日常だったからこそ、私の中では「着物=大変なもの」とは、あまり感じなかったのかもしれません。


今の着付けが“きっちり”している理由

現代では、着物は日常着というより「特別な装い」です。
だからこそ、見た目も美しく、崩れないように、しっかりと着付けを行います。

でも、昔は違いました。
日常着だったからこそ、少しくらい崩れていても気にしない、そんな柔らかい感覚があったのだと思います。


「どんな動きでも絶対に崩れない着付け」は、存在しません

畑仕事や家事をこなしながら、今のようにピシッとした着付けを保つのは無理があります。

お着付お仕度お手伝いする側の一個人としての考えで恐れ入りますが

「どんなに動いても絶対に崩れない完璧な着付け」なんて、きっと昔もなかった。
ただ、着るしかなかった。それだけのことだったのではと思いを馳せるのです。


母の喪服、そして洋装への一言

少し話はそれますが、私の母は昭和初期生まれ。
「喪服は必ず着物で」と、私たち娘に強く言っていた人でした。

けれど、父の葬儀で喪主を務めた母は、洋装を選びました。
理由を尋ねた私に、母はこう言ったのです。

「面倒くさか」

もしかしたら、口にするのははばかれるような、うかがい知れない背景があったのかもしれません。しかしながら、あんなに着物を大事にしていた母のその一言に、時代の流れや気持ちの変化を感じた瞬間でした。


現代の着物と、私たちの気持ち

いま、日常的に着物を着る人は少なくなっています。
レンタルのフルセットも、どうしても手間がかかります。

でもそれでも、「着てみたい」「着物で特別な日を迎えたい」
そう思ってくださる方がいる——その気持ちに、全力で寄り添いたいと思うのです。


おわりに:着物は、想いのこもった一枚だから

着物を着ることに、昔とは違う大変さがあるのは確かです。
でも、その大変さの向こう側にある「想い」が、着物をもっと特別にしてくれるのかもしれません。

着物は、ただの衣服ではなく、思い出や想いが重なるものでもあるかと存じます。

この文章が、そんな想いを共有できるきっかけになれば嬉しく思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。