先日、劇場アニメ『ベルサイユのばら』を観てきました。劇中に登場する扇子を見て、諸説あるものの日本で生まれた扇子がヨーロッパに伝わり、独自の文化を形成してきたという話を思い出しました。素直に『すごいぞ、扇子』とても面白い事に遭遇した気持ちになりました。同時に、和装小物として広くしられる扇子について、お客様からお伺いがあった際にお答え内容がいまひとつだったかもと省みました。お客様に、更に気持ちよく和の装いを楽しんでいただきたく、今回は扇子の歴史や文化、現代へのつながりについて掘り下げてみたいと思います。
扇子の起源と発展
扇子の誕生
扇子は、平安時代初期(8世紀頃)に日本で誕生したとされています。その始まりは、記録用紙の代わりとして使われていた木簡(もっかん)をひもで綴じ合わせた「檜扇(ひおうぎ)」です。檜扇は、宮中での作法を書き留めるメモ帳のような役割を果たし、当初は主に男性が公の場で使用していました。
起源に関する議論
扇子の起源や発祥地についてはこれまでも長い間議論されてきました。現在発見されている文献によれば、日本の京都が発祥という説が濃厚だとされています。しかし、中国や高麗で誕生したという説もあり、今後新たな文献が発見されることでこれらの説が証明される可能性も残されています。いずれにせよ、扇子が広くアジアで発展を遂げたことは間違いありません。
扇子の進化
平安時代中期になると、檜扇に美しい絵が彩られるようになり、装飾性が高まりました。鎌倉時代には、日本の扇子が中国を経由してヨーロッパへ渡り、ヨーロッパでは羽やレースを使った華やかな洋扇へと発展します。室町時代には、中国から両面貼りの扇子が逆輸入され、日本国内でも広く普及しました。
江戸時代の重要性
江戸時代には、扇子づくりは「京の三職」として冠や烏帽子づくりとともに官の保護を受ける重要な産業となり、ますます洗練されました。この時代、日本の扇子は日用品としてだけでなく、美術工芸品としても確立されていきます。
ヨーロッパでの洋扇の発展
鎌倉時代にヨーロッパへ輸出された扇子は、現地で独自の進化を遂げました。17世紀のパリには、洋扇を扱うお店が150軒も存在し、18世紀には「扇子言葉」と呼ばれるボディランゲージが生まれるなど、上流階級の間で広く使用されました。
洋扇は、骨に金属や象牙、鼈甲などが使われ、両面に布やレース、孔雀の羽根が貼られた豪華なものが多く、主に貴族や王室の女性たちが愛用していました。また、絵画や彫刻の装飾が施され、芸術品としての価値も高まりました。
18世紀中頃には、折り畳み式の扇が一般的となり、正装時には欠かせないアイテムとなっていました。明治時代には、この洋扇文化が日本にも伝わり、和扇とは異なる魅力を持つ別アイテムとして親しまれるようになりました。
和装小物としての扇子
末広(すえひろ)
お祝い事に用いられる扇子を「末広」と呼びます。末広の名前は、扇子を開いた際に先へ向かって広がる形が「末広がり」を意味し、幸運や繁栄を象徴する縁起物とされています。結婚式や結納など、大切な儀式では欠かせないアイテムです。
夏扇子(なつぜんす)
一方、浴衣などに合わせて涼を取るために使われる扇子は「夏扇子」と呼ばれます。用途や目的によって使い分けることが大切です。お祝い事で使用する場合には、末広を選ぶようにしましょう。
扇子の文化的な意
扇子は、その形や装飾にさまざまな意味が込められています。
- 繁栄の象徴:末広がりの形が、幸せな未来への道を表しています。
- 礼装の一部:末広は礼装の着物姿を引き立てる重要なアイテムであり、美しい所作を演出します。
現代では、扇子は日本を訪れる観光客にも人気の土産品であり、美術工芸品としても高い評価を受けています。これまでの歴史や文化を背景に、時代に合わせたデザインや用途のアップデートが進んでいます。
扇子文化を次世代へ
この記事を通じて、扇子が単なる道具ではなく、日本の歴史や文化を形成するうえで重要な役割を担ってきたことを少しでも感じていただければ幸いです。
これからも扇子の文化が時代に合わせて進化し、次世代へ継承されていくことを願います。
最後までお読みいただきありがとうございます。